以前から”歴史、流行は繰り返すが、そのまま繰り返すのではなく、それは螺旋階段のように、もとに戻るようでありながら、その元のものより、ちょっとずつ変位している。”
という、イメージをもっている。
去年から読み続けている、”木材の住科学”-有馬孝禮氏著を、読み終え、2回目に入ったが、その本にある、木材自給率の変遷のグラフを見ると愕然とする。
昭和30年においては、殆ど100%に近かった自給率が、平成11年など20%に落ち込んでいた。
これには、資本主義の考え方が、色濃く反映する訳だが、兎に角、急峻な日本の山林の伐採は、非効率な為、製材されるまでに、多くの資本投下が必要で、当然木材の立米単価は、外国から買うより高くなっていた。
近年は、燃料高などで、高い外材から国産材に傾斜してきて自給率も50%に近付いているようだ。
木材の輸入では、昭和40年前には、輸入関税をかけて国産木材の保護を図っていたが、いまやそれもないのに。
全部日本の木材に、頼っても、十分供給余力があるのだが、海外へ買い付けに走るのは、選択の問題としては、間違った考えではないだろう。
しかし、それがために、日本の木材輸入事情は、相手国の政情や、ストや、天変地異によって、ふらつく。というのが、世界市場でよく起こっていることで、今後の環境問題、太い輪郭を持った林業政策と言う面において、これでいいのかという疑問も湧いている。
近年も、”ウッドショック”という現象が起こったことは記憶に新しい。実際に、ごくたまに手伝ってもらった大工さんが、外材が2か月来ないので、手伝わせてくれときたものだ。
一方都会と山村という、日本国内でも、”南北問題”にも似たことも、生まれているし。
高度成長期には、振り返られることもなかった山村の意味が、”環境問題”ともリンクしながら、考えていかざるを得ないという命題は、そろそろ本番を迎えてもおかしくはないと考える。
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